面影橋姉妹の日々

突然意識不明になってしまった妹と姉の日々を綴ります

面影橋

タイトルがなぜ面影橋姉妹なのかというと、私と妹が育った団地の名前が面影橋住宅だったからです。新宿区戸塚一丁目410番地、都電荒川線面影橋駅から徒歩3分の、4階建ての建物が4棟ある団地でした。小さな池が3つと、砂場と原っぱもあります。隣接して甘泉園公園という大きな公園や、水稲荷神社もあり、夜にはフクロウやウシガエルの鳴き声が聞こえました。電車通りの向こうには神田川が流れ、面影橋という橋がありました。当時は川の水もきれいで、周辺の染め物屋さんの友禅流しも見られました。中2までを過ごしたこの家は、今では跡形もありませんが、私と妹の懐かしい原点なのです。

妹が倒れてから、慣れない実家での暮らしの中で、しきりに面影橋の家のことを思い出すようになりました。記憶の中の音や匂い、よく遊んだ場所や友達…。母は6年前に亡くなり、父も高齢のため、昔のことも、最近のこともあらかた忘れてしまっています。ふと、妹以外には、誰にも、懐かしい何もかもを、確かめたり、分かち合ったりすることはできないということに気がつきました。年を取るっていうことは、こういうことだったのか、という思いがひしひしと胸に刺さりました。

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2歳くらいのゆき。後ろに見えるのは面影橋の欄干。