面影橋姉妹の日々

突然意識不明になってしまった妹と姉の日々を綴ります

あじさい

梅雨に入り、ベランダではアジサイの花が咲き始めました。花は3つ、冴え冴えしたブルーがきれいです。去年はこの倍くらい花が付いて、妹は喜んでいました。隣のクチナシも、20以上も蕾を付けて、咲き始めた花からいい香りが漂っています。クチナシは、母の好きな花でした。父との結婚式のブーケがクチナシだったとか。ひと枝切って、仏壇に供えました。

6月から、妹の病院の面会が解禁になりました。と言っても、月に2回、1人ずつ5分という厳しい制限つきです。まずは息子たち、私は7月になったら行けるでしょうか。

相変わらず、何をしていても妹のことを思い出してしまうけれど、時間が経つにつれて、妹の気持ちになって考えることもできるようになりました。

誰よりもいちばん悲しくてつらいのは本人なのです。悔しさ、無念、怒りもあるでしょう。自分が動けなくなって、妹は、父や私に何度もごめんね、と言うに決まっています。子供たちを心配してもいるでしょう。泣き虫だから、もし、父が急変したのだったら、ゆきは、必ず自分を責めて泣くでしょうし、もし、私が倒れたのだったら、きっとたくさん泣くでしょう。

ゆきは、少しずつ進行してゆく父の病状と向き合いながら、父がいなくなった後、一人でこの家で暮らすことは想像できないと、よく言っていました。怖がりだから、一人になる日が近づいてくることが、怖かったのでしょう。そして、父との残りの日々を、私も共有できるようにと、機会を与えてくれたのかもしれません。

以前、妹に言われたことがあります。「何かあったら、姉ちゃん来てくれる?」私は「もちろん来るよ」と答えました。妹は、その言葉を信じて頑張ったのです。約束は果たさなくてはなりません。           何としても、私は、父を支え、甥っ子たちを見守っていこうと思います。

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