面影橋姉妹の日々

突然意識不明になってしまった妹と姉の日々を綴ります

ネットに助けられて

今まで、私にとって、スマートフォンは、便利だけど、十分には使いこなせないものでした。よく、家に忘れて出かけたり、どこかに置き忘れたり… それが今では、何より大事な、お守りのような、頼みの綱です。パソコンなど持たずにやってきた私は、スマートフォンなしには、この苦しい日々を乗り切ることは難しかったと思います。何にも知らなかった、病気のこと、制度のこと、市内の地理から、法律のこと、何を訊ねても、たくさんの答えが見つかりました。情報の取捨選択には時間もかかるけれど、そのプロセスは、私を導いてくれて、考えもしなかった世界が広がりました。また、多くの未知だったアプリも使ってみました。

まず、妹に新たに作ったLINEを送り続けました。伝えたいことがたくさんあったから、既読にならなくても、答えはなくても、話しかけずにはいられませんでした。呼びかけや、見せたい写真や、聞きたいこと、ちょっとした報告など。

妹との果たせなかった約束がいくつもあったので、あたかもそれを実行したかのような、小説風の物語を、作文アプリに書いてみました。かえって寂しくなってしまいましたが。

父の3回目のコロナワクチンの予約も、ネットでしか受け付けていなかったし、自分の居住地外接種の申請書も、スマホでダウンロードできました。

医学的な知識を得るための検索はもちろん、同じような症状の方のご家族の闘病記をブログや電子書籍で読んだり、役に立ちそうな本をネットで取り寄せたりしました。読んだ本は、スピリチュアル系のニューエイジ本、四柱推命の手引き書、仏教の本、瞑想の本、脳死について扱った本などなど、プロセス指向心理学のコーマワークについてという、難しくてよくわからない本も読みました。

YouTubeや配信のドキュメンタリーやドラマでも、思いがけず自分に重なってくるテーマのものがあって、今までなら見過ごしていたようなことが、深く心に響いたこともありました。

いろいろなことから気づいたことは、偶然のようでもあり、何かに導かれているようでもあり、止むに止まれぬ暗示のようでもあるのですが、自分としては、脳死は人の死ではない、という見解にたどり着き、昏睡状態は、社会的には死に等しいかもしれないけれど、魂は生きていて、何かやり残したことがある状態だということ、今の常識的な医学ではアプローチが難しく、コロナのせいで、そのほんの少しの可能性も奪われているのだと考えるようになりました。

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読んだ本の一部。amazonは、図書館や大型書店より、役立ってます。