面影橋姉妹の日々

突然意識不明になってしまった妹と姉の日々を綴ります

写真

実家にいる時間が長いので、少しは片付けようと、物入れや引き出しなどを整理していたら、写真がたくさん出てきました。父や母が若かりし頃の白黒写真、まだ赤ん坊の私や妹の写真、親戚たちや見覚えのある場所の写真もありました。親戚の多くは既に鬼籍に入っています。父に聞いても忘れてしまっていて、妹と話せない今、私の曖昧な記憶を確かめる術はありません。

妹の写真もありました。その写真の中には、若々しい10代の頃の姿や、20歳で結婚し、27歳で長男、33歳で次男が生まれ、一生懸命子育てもパートもしていた、妹のこれまでの日々が確かに残っています。楽しそうな家族旅行の写真もあります。DVや借金に苦しんだこともあったけれど、こんなに穏やかなひとときもあったということを、覚えていようと思います。

人がこの世に生きていた証は、何なのか。思い出だと思いました。私が今までしてきたことは、世に残るほどのものはありませんし、趣味で作ってきたキルトや手芸品などは、邪魔になるばかりかもしれません。結局、残った家族が時々思い出してくれて、写真もどこかに保存されて、それが私という存在の痕跡になるのです。何気なく過ごした日々の思い出は、実はすごく大切なものだったんだなぁと気づきました。人によっては、自分が最後の1人になって、偲んでくれる人がいない場合もあるでしょう。それは寂しい気もしますが、長い歴史の中では、数十年もすれば誰だって同じことかもしれません。

写真と言えば、父の趣味の折り紙の作品のアルバムを作りました。撮影用のライトをネットで購入し、スマートフォンで作品の写真を撮って、やはりスマートフォンで注文したアルバムを1冊と、ケアマネージャーさんから頂いた、以前父がプレゼントした作品の写真を中心に、台紙に貼ったアルバムを1冊。はやりのスクラップブッキングに挑戦しましたが、あまり上手にできませんでした。でも、父は喜んでくれました。

これを機に、他の古い写真もアルバムにして、分かるところだけでも書き込んでおこうと思いました。

f:id:yyule1618:20220709012646j:image