姉妹
淋しい。
淋しい時には、淋しがるしかない。
誰の言葉だったっけ。
街を歩いていて、気がつくとゆきに似合いそうな服を探しているし、一緒に来たところや、ゆきの話の中に出てきたところを見ると、悲しくなります。今まで、何でもゆきに相談してきたし、これからも、父のことや実家のこと、ゆきと一緒なら何とかなると思っていたのに、私ひとりになってしまいました。自分がどれだけゆきを頼りにしていたか、今さらながら思い知りました。
遺影を見るたびに、泣きたくなる。
この淋しさ、愛おしさは、何なのでしょうか?
血を分けた姉妹だから、感じる気持ちなのでしょうか。それとも、私たちには、もっと根源的な、グループソウルのような魂の絆があるのでしょうか。
最近読んだ『ほの暗い永久から出でて 生と死を巡る対話』(上橋菜穂子 津田篤太郎 )の中に、人は生まれた瞬間から、生きなければならず、でもいつかは必ず死を迎えるという矛盾を与えられ、一期一会の生を生きているのだと書いてありました。自分も、大切な誰かも、滅びる定めだからこそ愛おしいのだと。考えてみると、私も、妹も、誰でも、生まれた時から刻限の分からない余命宣告を受けて生きてきたようなものです。そう考えると、全てが奇跡のように幸せな日々だったと思えます。
私たち、また会えるのでしょうか?
今度はいつ?
会って、声を聞き、笑い合いたい。
時の流れの中には、繰り返されるたくさんの生涯があって、今生で私たちが姉妹として出会ったこと、それは、あたかも、砂浜の砂の一粒が、日の光にきらりと光る瞬間のような、儚いけれど確かな、一瞬です。
このためにだけでも、私、生まれて良かったなぁ。
ありがと、ゆき。