面影橋姉妹の日々

突然意識不明になってしまった妹と姉の日々を綴ります

好きだったもの

葬儀を終えてからは、いろいろな手続き、葬儀の精算、返礼品の手配、と毎日があっという間に過ぎていきます。父の眼科通院も、今までは介護タクシーをお願いして行っていましたが、初めて自分の車で行くことができました。父は、少し食欲が落ちてはいますが、日常を取り戻しています。

家には真新しい妹の遺影を飾った祭壇を作りました。それでも、妹が亡くなったという実感はまだあまりなく、ただ、本人にとって不本意な、意識不明で寝たきりの状態から解放されたことに対する安堵感は感じています。

妹は頑張り屋でした。パートの仕事でも、勉強して資格を取ったりしていました。家では、潔癖症なところもあって、掃除も徹底していました。でも、何より、いちばん頑張ったことといえば、2人の子供を生み、育てたことです。子供たちのことは大好きで、もう成人して独立しているのに、いつも気にかけていて、コロナが流行するようになってからは、思うように会えないのを残念がっていました。

毎日、街を散歩しながら、妹のことを考えます。妹はこの街が好きだったのでしょうか。30数年前には、駅の周辺には何もなくて、イトーヨーカドーがぽつんと建っていたくらいでしたが、最近では駅ビルができ、ビジネスホテルやマンションがどんどん建設されて、見違えるようです。賑やかなところが好きな妹には、暮らしやすかっただろうと思います。

私にとっても、今は見慣れた街並みになりましたが、妹がよく行っていたお店や、好きだったお店を見ると、妹と一緒に行けたらいいのに、と思ってしまいます。

葬儀のときに、お坊さんがお話の中で、これからは妹の好きだった食べ物や飲み物を、代わりに味わってあげた方がいいと言われました。今まで、折に触れて陰膳を据えたりはしていましたが、妹の好物を食べるのは、食べられない妹を思うとできませんでした。でも、何かを食べたり飲んだり、味わうことができるのは、生きている証です。妹が、この世にあって、味わって、好きだったものを覚えていたいと思いました。

好きだったのは、鰹のたたき、貝のお刺身、砂肝、QBBチーズ、桃、ジャスミン茶、いいちこ、パセリ、クレソン。よく作ってくれたのは、ナポリタン、ミートソース、ミネストローネ、巻き寿司、スペアリブやナンコツの煮物、シソときゅうりの酢の物。

早速、今日の食卓にどれかをのせることにします。

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