面影橋姉妹の日々

突然意識不明になってしまった妹と姉の日々を綴ります

姉妹

淋しい。

淋しい時には、淋しがるしかない。

誰の言葉だったっけ。

遺影を見るたびに、泣きたくなる。

この淋しさ、愛おしさは、何なのでしょうか?

血を分けた姉妹だから、感じる気持ちなのでしょうか。それとも、私たちには、もっと根源的な、魂の絆があるのでしょうか。

私たち、また会えるのでしょうか?

今度はいつ?

また会えると信じていたい。

繰り返されるたくさんの生涯の中で、今生で私たちが姉妹として出会ったこと、それは、あたかも、砂浜の砂の一粒が、日の光にきらりと光る瞬間のような、儚いけれど確かな、一瞬です。

このためにだけでも、私、生まれて良かったなぁ。

ありがと、ゆき。

 

遅れたけど

気がつくと、夜中まで賑やかだった蝉の声はまばらになって、アオマツムシの鳴き声が聞こえてくるようになりました。

葬儀に参列してくださった、妹がとても親しくしていた方のところへご挨拶に行きました。妹が以前住んでいた私鉄駅前のイタリアンレストランの奥さんです。パスタがとても美味しくて、妹も一時期パートで働いていたこともあり、家族みんなでよく食べに行っていました。妹とは、いつかまた食べに行こうと言い合っていましたし、妹が倒れてからは、「早く良くなって、2人で4月にはお誕生日祝いをしに行こう!」と、心の中で約束していたのです。妹がいつも決まって食べるのは、ベーコンとキノコのトマトソーススパゲッティでした。それと、ブラックのアイスコーヒー。夏でも冬でも、パートの賄いでも、必ずそれを頼んでいました。

スーパー銭湯にみんなで泊まりに行った帰り道、両親と、妹と私と、それぞれの2人の息子たち、総勢8人で、楽しい旅の締めくくりに、美味しいパスタを味わって、今思い出すと、あの頃が一番楽しかったような気がします。今回は、私1人ですが、妹はきっと一緒に来ていると思いました。店に着くと、久しぶりなのに、前とちっとも変わらない雰囲気と、物音や、お客さんたちの様子に、まるでその辺から妹がひょっこり現れそうな気がしました。自分にはホットコーヒー、妹にはアイスコーヒーを頼んで、小さな声で、「ゆき、ハッピーバースデー!」と言いました。4ヶ月も遅れちゃったけど、やっと来られたね。

奥さんとは、長い間のいろんな思い出や、妹のこと、近況など、積もる話をして、お店を後にしたのでした。

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好きだったもの

葬儀を終えてからは、いろいろな手続き、葬儀の精算、返礼品の手配、と毎日があっという間に過ぎていきます。父の眼科通院も、今までは介護タクシーをお願いして行っていましたが、初めて自分の車で行くことができました。父は、少し食欲が落ちてはいますが、日常を取り戻しています。

家には真新しい妹の遺影を飾った祭壇を作りました。それでも、妹が亡くなったという実感はまだあまりなく、ただ、本人にとって不本意な、意識不明で寝たきりの状態から解放されたことに対する安堵感は感じています。

街を歩いていると、もう今は見慣れた風景があります。妹はこの街が好きだったのでしょうか。30数年前には、駅の周辺には何もなくて、イトーヨーカドーがぽつんと建っていたくらいでしたが、最近では駅ビルができ、ビジネスホテルやマンションがどんどん建設されて、見違えるようです。賑やかなところが好きな妹には、暮らしやすかっただろうと思います。妹が倒れてからは、妹の好きだったお店や、一緒によく行ったお店には行けなくなりました。

葬儀のときに、お坊さんがお話の中で、これからは妹の好きだった食べ物や飲み物を、代わりに味わってあげた方がいいと言われました。今まで、折に触れて陰膳を据えたりはしていましたが、妹の好物を敢えて食べることはしていませんでした。当たり前ですが、何かを食べたり飲んだり、実体として味わうことができるのは、生きている間にしかできないことなのです。妹が、この世にあって、味わって、好きだったものを覚えていたいと思いました。

好きだったのは、鰹のたたき、貝のお刺身、砂肝、QBBチーズ、桃、ジャスミン茶、いいちこ、パセリ、クレソン。よく作ってくれたのは、ナポリタン、ミートソース、ミネストローネ、巻き寿司、スペアリブやナンコツの煮物、シソときゅうりの酢の物。

早速、今日の食卓にどれかをのせることにします。

 

お別れ

妹の葬儀を執り行わなければなりません。それなのに、妹の長男がコロナに感染したらしいというのです。7歳下の次男が喪主になるとしても、本人は不安そうです。そんな時、従姉妹が教えてくれたのは、最近、何人かが連名で喪主になることが多いということでした。誰がいつコロナに感染するかもわからないし、自治体から支給される埋葬料の手続きも、会葬御礼はがきに喪主として印刷されている者が行えるということで、妹の場合も、長男、次男、姉の私の3人の連名としました。

葬儀の日程を決めようとすると、斎場もお寺も、予約がいっぱいで、通夜が5日後、告別式は6日後が最短だということで、やっと決めることが出来ました。日にちがかかるため、エンバーミングという処置をお願いすることにしました。費用は、18万円。高額ですが、ドライアイスもいらなくなるし、衛生的で、美容的にも、妹が喜びそうです。いつ頃から導入されたのか知りませんが、6年前の母の葬儀の時にはまだ耳にしませんでした。(式場は同じです。)

全国のコロナ感染者数は高止まりで、内うちの家族葬ということにしました。それにしても、長男は、どうすればいいのでしょうか。やはり、陽性の判定がでました。それほど重くはないようですが、無症状ではないと言います。発症から数えると、告別式の日がちょうど10日目です。身内にも高齢者はいるし、父のこともあるし、でも、妹と長男を会わせてあげたい。悩みました。

父も、妹に会わせたい。家の中では移動に不自由はないとは言え、長時間、ポータブルの酸素ボンベでは、車椅子がないと心配です。介護タクシーを頼もうと考えましたが、時間や車椅子のことを考えると、難しいと思い、介護保険で車椅子を借りました。通夜は家で留守番してもらい、告別式には車椅子で参列し、出棺後に家まで送り届けることにしました。式場、家、斎場が、それぞれ車で30分圏内にあることと、私の車は、軽自動車ですが、天井が高いゆったりしたタイプなのも助かりました。

葬儀というものは、みんな慌しく、ハプニングがあったり、勘違いがあったりするものなのでしょうが、今回も、バタバタと進んでいきました。

結局、長男は、通夜の日の深夜、妹に対面しに来ました。翌日は、斎場で、最後の収骨の時だけ参加して、お骨を抱いて斎場を後にしました。

月曜日に亡くなって、土曜日に通夜、日曜日に告別式、ちょうど一週間のことでした。

私には、妹が8ヶ月も寝たきりで頑張ったのは、ひとり暮らしの長男が、重症化せず、コロナを克服するのを見守って、その難を背負っていくためだったのだと思えてなりません。それでも、ぎりぎり別れを告げられるように、ちゃんと段取りして…

ゆきらしい最期でした。お疲れさまだったね。

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旅立ち

あまりにも急に、妹は旅立ちました。

朝、病院から、発熱して肺炎の兆候があるので、面会に来てくださいとの電話を受けて、出かけて行くと、もう心臓が止まりました、と言われたのです。

12月に倒れ、2月に今の病院に転院してから、コロナのために面会できない状態が続いていましたから、いきなりの病状の悪化を受け入れることができません。しかも、1人で逝かせてしまうなんて、申し訳なくてやりきれません。もう少し早く、知らせてもらえていたら。意識はなくても、手を握ったり、言葉をかけて、送り出してあげたかったのに。

ゆき、ごめんね。

今まで、ありがとう。

もう苦しむことはなく、痛みもなく、怖いことも何にもないね。自由に行きたいところに行って、会いたい人に会えるんだね。

これからも、心はずっと一緒だからね。

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夏!

市役所へは歩いて15分くらいで行けます。私の地方都市的感覚では、とても近い! 途中、長い垣根に沿った歩道を歩くのですが、ベニカナメモチサザンカ、マサキなどの混ぜ垣に、盛大につる草が絡んで夏の真っ盛りという感じです。ヤブカラシ、ヘクソカヅラ、ヒルガオノブドウなどで、さすがにうちの地元のようなクズとかヤマノイモなどのようなワイルドなのは生えていませんが、ノブドウは、こちらの方が実付きがよいようで、早くも色づき始めています。蝉の抜け殻は1メートルおきくらいに付いているし、鳴き声も耳を圧するばかりです。この間は、アオスジアゲハも見かけました。小ぶりだけど、元気に飛び回っていました。私の知らなかった、この街の夏です。去年の夏には、妹もここを通ったのでしょうか。

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ノブドウ。色とりどりに実が色づきます。


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アオスジアゲハ。さわやかな青ですね。

記録

妹には、メモや記録をつける習慣がありました。              毎日の買い物メモ、生協の注文や日々の献立、飼い猫まるくんの飼育メモには、食べたフードの量、飲んだ水の量、おしっこの量まで!何もそこまで記録しなくてもいいと思うのですが、これは、前にフェレットを飼った経験からのようです。アラレちゃんという名前の、小柄な雌のフェレットでしたが、5歳でインスリノーマという病気になり、闘病の末に亡くなったのです。体重は1キロに満たず、投薬管理のためには、細かいメモが必要でした。亡くなったのは1月9日でしたが、その日のメモは、年が明けて買い替えたばかりのノートに、もうこのノートに書くことがなくなったことと、あられちゃんへの感謝の言葉が綴られていました。その後、ペットロスで繊維筋痛症になりながらも、懸命に治療して、数年後に迎えたのが黒猫のまるくんです。まるくんを自宅に連れて帰った日のノートには、まだ小さかったまるくんが、物怖じせず馴染んでいく様子が、愛おしさと喜びに溢れた言葉で書かれていました。まるくんは、今年7歳。あと10年分くらいはノートが続いてほしかった・・・

片付けていると、買い物メモやレシートも出てきました。買い物メモはいつのものなのか、私の名前とビールと書いてあります。私が来ると、いつも私の好きな銘柄のビールを冷やしておいてくれました。ゆきはいつも麦焼酎。この日は、たぶん、やってきた私とふたりで遅くまで飲んだのでしょう。

12月1日のスーパーのレシートもありました。倒れる前日のものです。最後の買い物。暑い日も、寒い日も、痛む体で買い物に行ってくれたよね。ありがとう。レシートをたたんで、バッグにしまいました。ここにも、妹が一生懸命生きた証がありました。